作品201〜205

小漁師 (作品205)


待ち侘びた凪にひとたび船を出せば
本命一尾を求めて延々と海に浮かび続ける
確かこの時期はここがいいはずだったが
いや、あそこがよかったか
港を出てしばらく真っ直ぐに走りながら
はたらく勘を頼りに行く方角を選ぶ
少しほつれた赤い旗がぱたぱたとたなびいて
風向きに船を対面させると
待ちかねたようにファーストフォールの泡を追う
ハンドルを持ちゆっくりとルアーを引くと
無言のカウントが喉の奥から耳に響く
いーち、にー、さーん、しー、...
潮に逆らいながら疑似餌の尾っぽが僅かに舞い
魚が岩陰から駆け寄って来て、がつんとなるはずが
時間は躊躇うことなく進んでいく
小魚は釣れる
食材になるほどの収獲も数尾既にあって
冷蔵ボックスに収まっている
俺はもう小漁師なんだからと言い聞かせても
心は常に強い手応えを求めている
一日に一度でいい
緊張と期待ががっちり織り込まれた
あの、やり取りをしたいのだ
潮が流れず船を動かすほどの風もない。
ああ、零コンマ零キロメートルのつ(釣)れなさよ




冬凪 (作品204)


寒波での巣ごもりがうんざりするほど続いて
気圧配置図を確かめてはため息をつきながら
凍えの去る日を待ちわびていた
強風に揺らぐ家屋の何という騒々しさ

ようやく凪いだのは二週間後だった
矢も楯もたまらずに
ガソリン缶を持って港へ走る

愛艇の真っ白い船体が
朝日に照らされて きりりとしていた
アイドリングたっぷりにエンジンを温める
沖への行程は 短い船旅だ
冬眠の穴倉のような日々からの解放が
今 始まったのだ

湖面のような穏やかさが広がっていた
空は雲の間から陽の光を
さざ波の一つ一つに配っている

まだまだ遠慮がちな日差しの熱は
真冬の恰好は似合わないという程の暖を持つ
上着を一枚 さらに一枚 脱いでいた

微かな北西の風が通り抜けると
我に返ったように 冷やかさを受け止める

船のエンジンを止めて
流れにまかせ しばらくは
自分がコンパスの中心になって
ゆっくりと風景鑑賞の円を描く




混乱 (作品203)


未曽有の大事故を経て
原発は金がかかる高いものだと誰もがうなづいた
やめるにしても二十年から三十年かかるというが
放射性廃棄物の保管場所すら一つも見つからない
安全神話が危険実話と呼ばれるようになってからも
国を挙げて再稼働に懸命な面持ちだ
自然エネルギーを増やそうと
優遇買取制度に乗って
国土のあちこちで太陽光パネルが敷かれた
とすぐに買い取りはしないと言い始めた
かたや再稼働の高い壁もまた
心が折れるほどの努力でも乗り越えられないでいる
石油安によって火力でしのぎながら
電力の独占は死守したいと思っているようだが
五十基もの発電機が止まったところで
人々はさしたる省エネもせずに暮らしている
風、波、地熱、光といくらでもある自然エネルギーよりも
放射能や二酸化炭素の排出のほうが
この国を元気にさせるには手っ取り早い
ハイブリッドの次は燃料電池だと
水素ガスの安定供給へと動いてもいる
無尽蔵にある水を電気で分解すると
水素が生まれることは知らないものはいない
遠い昔やったことのある実験をなつかしみつつ
パネルや風でつくった電気を水の中へと入れると
出てきた泡は集められ保管され
必要な時に発電エネルギーとなるのではないか
日本中の小さな発電機で水素を作ればいい
とある中学生が理科の実験中に考えたという
そんな夢みたいなこと考えてないで
受験勉強でもしなさいと諭されたらしいが
彼は本気で水素の研究者になるつもりだという
応援する企業も現れて水素ガスエンジン車の
すべての技術を無償で公開し
赤字覚悟の水素ステーションを作り始めた



さらに一歩 (作品202)


島で仮住まいを始めて三度目の冬
時化の日の風を仲間に引き入れながら
その音に気分の良し悪しを知る
やけに感情が昂ぶっているかと思うと
屋根瓦が浮き上がり一枚が飛ばされた

台風でも飛ばされなかったのにと
季節風の強烈な営みを知った
無防備な岩肌を
瓦のように少しずつ削り取って
島の西側にある断崖絶壁は作られた

この冬は到来が早く
古屋中がすっかり冷蔵される日が続く
三か月前に箱入りを買い
残った二つのリンゴは未だ赤いままでいる

耐寒生活には慣れていたはずだったのに
ふと耳を触ると少し腫れていた
まさか、あの害虫にやられた訳ではあるまいし
と思いつつ手鏡を見ると
赤く小さな霜焼けを起こしていた

心は大丈夫なつもりであっても
身体はこの冬の冷えの強さを感じ取っていた
リンゴほどには赤くはないものの
痛痒さにしばしば指でこすっている

耳までおおう
ヘアーバンドというものを着けるようになった
防寒対策もさらに一歩進んだ頃
大家のティーさんがやって来た

もう八十歳だというのに
「あと二、三年は大丈夫と思うとばってん」
と言いながら屋根に上って
瓦が飛ばないようにと補強工事をしてくれた

冷蔵屋敷の中でお礼のお茶を入れていると
「寒さ対策、しっかりしとりますな」
と、にこにこ顔でほめられて
耳の赤味が耐寒リンゴに近づいた



この冬一番 (作品201)


師走に入ったばかりだというのに
早くも大寒波がやって来た
数日前から覚悟を決めていたので
おどろくほどではなかったにせよ
真冬並みの寒波にうなずいた

朝の部屋の温度は四度
終日、陽が差すことなく
みぞれ交じりの冷たい雨が窓ガラスを叩いていた
寒暖計の数字も凍てついたように動かない

炬燵のままに動きを休めていると
大家のティーさんがやって来た
毛糸の帽子をすっぽり被って
ズボンは三枚重ねという装いだった

熱いお茶でも飲んでいかんですかと誘うと
ごちそうになろうかねと言って
土間の縁側に腰を下ろした

野良猫の侵入に頭を痛めているという
小魚を干した網籠を引き裂いて食べようとするらしい
この寒さで猫も腹を空かせている

どうしたもんかと二人して頭をひねっていると
突風が吹いて左から右へと
家の壁を叩きながら通り過ぎた
猫も生きるのに必死なんですよ
そうじゃろうなあ
良策を思い付かぬまま話は冬へ移る

ストーブも置いてなかけん寒かですたいね
冬山登山用のジャケットを着ていることを伝えると
袖口のもっこりを触りながら
山登りのようですなと言う
ここは山小屋と思って愉しんでますよと
田舎暮らしの冬にも遊び心を持ち込んで
はっはっと愉快そうに笑って受け止められた

二度の冬を乗り越えたという自負がある
冷蔵庫の中に居ても
心は冷気ファンのように絶え間なく動く










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