磯焼けについての考察


 海底に海藻がほとんど見られず、さしずめ海の中の砂漠といった様相を呈しているのが「磯焼け」という現象で、漁業資源の枯渇の要因とも言われている。「磯枯れ」とも言い、海藻が枯れて無くなっている様子を表す言葉。島も、アワビやサザエ、ウニなどの魚介類が獲れなくなってきているという話をよく聞くので、おそらく島周りの海底でも磯焼けが起こっているという想像に難くない。磯焼けといっても、極端に生物が少ない陸の砂漠とは大きく異なり、多種多様な生き物が磯焼けの状態でも生存している。海藻の代わりにサンゴ藻という植物が海底一面に生えていて、生命活動は淡々と行われている。種々の小さな生物がサンゴ藻の中で暮らしていて、それらを餌にする魚もサンゴ藻の隙間などを隠れ家としている。もちろん、生き物の豊かさでは、海藻が生い茂っている藻場の比ではないが、砂漠のように見える磯焼けの海でも豊かな海に回帰しようと生き物たちがしのぎを削っている。

 愛艇の係留ロープを掃除する時、海藻がよく生えているのが分かる。隣の船など、ほとんど動いていないのもあって、ロープは海藻ジャングルといってもいいくらいになっている。ロープには、ところどころにサンゴ藻も発生していて、繊維の周りが固くなっている。サンゴ藻は炭酸カルシウム(石灰)を身の回りに集めているからである。これによっても、海藻が根付くのを阻止している。掃除の際にロープのサンゴ藻を取り除くと、すぐに海藻が根付くことからも、そのことがよく理解できる。しばらくすると、再びサンゴ藻が勢力を増し始め、ロープに付着し、その部分が固くなる。サンゴ藻は、海藻の付着を妨げる物質を放出し、その兵器によって、サンゴ藻VS海藻の戦いを一歩リードしている。放っておくと、ロープはサンゴ藻で覆われそうだが、実際には海藻もしぶとく生き延びている。つまり、係留ロープでの陣取り合戦では、五分五分の争いが続いているのだ。

 係留ロープのサンゴ藻にはゴカイの仲間が生息している。ゴカイは身体は柔らかいが、口には鋭い牙があって、サンゴ藻に穴を開けて入り込む。ゴカイが作ったサンゴ藻の傷に海藻の胞子が付着すると、そこから海藻が芽生えるという仕組みである。つまり、ゴカイによって、海中のロープでは、海藻とサンゴ藻がうまく共生しているという訳だ。ところが、海底ではそうはいかない。サンゴ藻は、海藻の発生を抑える物質とともに、ウニを呼び寄せる物質も放出している。ウニは、海藻が大好きなので、サンゴ藻の隙間にせっかく芽生えた海藻を食べ尽くしてしまう。まことに巧みなサンゴ藻の戦略である。ウニによって、磯焼けは完成し、海底をサンゴ藻が完全支配してしまうのである。磯焼けの海には、ウニは多いが、海藻から得られる豊かな養分が無いので、中身は空っぽで、食用にはならない。

 ロープというごく狭い範囲に発生したサンゴ藻の中にも、ゴカイはちゃっかりと住み付く。したがって、当然、磯焼けの広大なサンゴ藻の発生地域には膨大な数のゴカイが生息している。ゴカイは、多毛類・穿孔動物の代表格で、多くの種類がいる。また、開けられた穴や隙間には多くのカニや貝なども暮らしている。砂漠のように見える、サンゴ藻がはびこっているエリアにも、実は、マダイの餌は豊富とまではいかないが、生存するに最小限以上の量はあり、磯焼けが進行している海域だからといって、必ずしもマダイが住めなくなっている訳ではない。その上、マダイは、強力なアゴでサンゴ藻の硬い石灰層を砕き、ゴカイを見つけ出しては食べる。その際に多くの傷や裂け目ができて、そこに海藻が発生する可能性もじゅうぶんに考えられる。また、サンゴ藻につきもののウニも、バリバリと噛み砕いて食べるので、海藻の天敵も、退治していることになる。つまり、マダイは、磯焼けから藻場を回復させる可能性を持った魚だと考えることができる。

 海藻は普通、水深20m以内の浅場で繁殖する。深いと、太陽光が不足し、成長が難しいからだ。サンゴ藻は海藻ほど光を必要としないので、かなり深いエリアでもよく見られる。島でマダイがよく釣れる水深50〜80mの海底では、海藻が生えていないのが当たり前で、サンゴ藻が海底を覆っているのが大切なことである。浅場では、海藻が優勢となると、藻場を形成する。マダイの稚魚は、孵化してしばらくは沖を漂い、数センチの大きさになると浅場へ移動し、一年近くを藻場などで過ごしたのち、手の平サイズ程になるとまた深場に生育地を変える。藻場は、稚魚の隠れ場を提供し、豊かな餌を与えている。磯焼けが起こると、その藻場が枯れ、稚魚の成長を妨げる大きな要因となるだろう。また、成魚となっても、夜になると浅場に移動してウニやカニなどを食べにやって来ることが多く、海藻地帯が減るとそれだけ餌にありつける量が減るだろう。マダイは他のどんな魚より多種多様な生き物を捕食することで、大型化してきたのだが、磯焼けによる餌の減少は、マダイの数が減ったり、成長がおそくなったりする原因にもなると考えられる。

 磯焼けには原因がある。よく挙げられるのが、生活排水や農薬による海の汚染と護岸工事などである。排水によって海水が富栄養化して赤潮が発生しやすくなるが、近年の有明海では排水が浄化処理によってきれいになり過ぎて海苔が育たないという事態となっている。排水はある程度汚れていて、リンや窒素が豊富な方が海藻は育ちやすい。農薬は、大量に撒かれる除草剤が海に流れて海藻の生育を妨げると考えられるが、最新の薬は、特定の植物のみの発育を阻害し、時間が経てば自然に分解され、海藻に大きな影響を与えることはないそうだ。コンクリートは、むしろ積極的に投入して藻場の再生に寄与しているが、護岸工事や港の整備においての弊害は、沿岸の水深を深くしてしまうということである。海藻は浅場で育つので、むやみに岩礁を削り取らずに、遠浅の海岸を維持することに留意する必要がある。浅場が広ければ広いほど、藻場が増える可能性は高まる。もう一つ、近年よく問題になっているのが、アイゴなどの海藻が大好きな魚の激増である。短期間に藻場の海藻を食い尽くすそうだ。海藻が無くなれば、サンゴ藻も食べるだろうが、栄養価が高くないので、次第に繁殖は抑えられていくだろう。アイゴはヒレの先に毒針があって、刺されると激しく痛むという厄介な魚で、内臓は強いアンモニア臭があって、敬遠されるが、身は旨い。

 磯焼け対策として、藻場を造る様々な施策が打たれている。主に沿岸部のアワビ・ウニ漁の資源回復をねらってのものが多いが、藻場はマダイ稚魚のゆりかごとしても役立っている。人工漁礁もときどき沈められるが、数年経つと、サンゴ藻に支配されるようになるので、藻場の回復は一時的である。島にはいくつかの定置網があって、多くのロープや網に海藻が付着する。海藻を食べるウニは、ロープをよじ登ることはない。網は定期的に引き上げられて清掃されるが、きれいになった網にはまた海藻が育つ。短期間で育った海藻は、種苗として胞子を海中に大量に放出し、サンゴ藻の隙間に入っては、勢力を増やそうとする。籠網にも、同じような働きがある。島周辺では、定置網、籠網、アゴ網以外の網漁は禁止されていて、そのことが、島の漁業資源が枯れない最大の理由なのだが、定置網や籠網は、海藻の育成という意味でも大いに価値がある。サンゴ藻は、海藻の繁殖を妨げる厄介者として扱われるが、大気中から海に溶け込んだ二酸化炭素を石灰(炭酸カルシウム)として海底に蓄積させるという、地球的規模の働きをしているということを考えると、実は、ありがたい存在でもある。



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