釣りと孤独

ロバート・トレヴァーというマイナーな米作家が、

釣りは男が淋しさなしに
孤独でいることができる
地上に残された僅かな場所のひとつだ。

と言った。
言い得て妙である。

私は、別荘でひとり暮らしをしていて、
釣りをするためだけに居る。

釣りをしている時間は、
凪ぎの日の三時間前後だ。
長くて四時間。
孤独を忘れる時間は意外にもほんの少しだけ。

確かに、釣りをしていると、
ひとりでもまったく孤独感や淋しさといったものは無い。
これは、トレヴァーの言う通り。

だが、釣り以外の時間、
それは、ほとんどを占めていて、
別荘ではひとりだし、
釣り関係者以外の付き合いはないから、
ずっとひとりで淋しいということになるのだろうが、
そうでもない。

ひとりに慣れているからである。
一人遊びが好きな子供だったし、
若い頃のひとり暮らしは大変に長かった。
釣りはほとんどひとりで行っていた。
複数人数でわいわいと釣りをすることを好まなかった。

つまり、ひとりでも淋しさを感じさせないという釣りを、
長年やっている内に、
孤独による淋しさに対する耐性ができたということ。
単独釣行が私の場合、
普通の生活においても孤独を厭(いと)わない、
精神を培ってくれていたのだ。

独居老人が一般的になっているし、
人間死ぬ時はひとりだ。
皆さんも、ひとりで釣りをしながら、
精一杯楽しんで孤独に強い心を育ててみるといいだろう。



inserted by FC2 system