出船六百回

2016年11月6日。
今日の出港で出船600回となった。

1000回を目標としてきたので、
残すところ、あと400回。
三年後くらいになるだろうか。
そう遠くない未来ではある。

500回のエッセイを読み返してみた。
それ以降は、さして変更するようなことはない。
出船して漁をしたり釣りをしたりすることが、
すっかり日常になっている。

600は500の延長のようで、
それは、700、800、・・・と続いていくのだろう。

釣りでもっとも大切なわくわく感であるが、
これは、300を過ぎる頃から、
ほとんど変化しなくなったように思う。

500になって、スタンダードが出来上がって、
いよいよ変わらない。
変わらないのは、わくわく感のレベルもそうである。
もちろん、島に住む前のような、
極めて高いテンションのようなものは生じない。

それをさびしいことだとは思わないし、
釣りが面白くなくなったという訳でももちろんない。
大物がヒットした時の緊張感は以前と同じである。

自分で釣って処理した魚しか食べていないので、
それがごく当たり前になり、
実質的に、釣りが、生きるために必要な活動になっている。
四年以上も、極めて美味な魚を食べていると、
それができなくなることなど考えられない。

保存している切り身があとどれくらいあるか。
それによって、気分も釣り方も釣る時間もちがってくる。
できれば、のんびりやりたいと思うが、
時化が予想以上に続いたりしても、
毎日食べられるほどのストックであるかどうか。
というようなプレッシャーはいつもかかっている。

かと言って、多過ぎると、古くなる。
ひと月くらいはまったく問題はないのだが、
できれば、新鮮なものを食べたいと、
回転を速くする為に、保存量を半月分ほどにする。
なければ済まされないというのは、かなり厄介だ。

本来、趣味とは、必要不可欠なものではなく、
非日常を楽しみ、日常のストレスを解消するといった、
大きな目的があると思うのだが、
その趣味が、日常になっているのだから、たまらない。
この不思議な感覚は、説明がむずかしい。

自艇で海に出てポイントを見つけて、
釣りをすること以上に面白いことは無いので、
それ以外の趣味やアクティビティーには心がまるで動かない。
もっとも好きなことは、たまにやるのがいいのだが、
既に日常としてすすんでいる以上、
もっとも好きなことをさらに好きになるように、
工夫していくほかないようだ。




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