春眠

誰もが知っている孟浩然の詩を思い出した。
高校の漢文の時間に勉強したのを覚えている人も多いだろう。

春眠不覺暁  春の眠りは夜明けが来たことさえも分からない。
處處聞啼鳥  あちこちでウグイスが鳴いているのが聴こえる。
夜来風雨聲  夜中は雨や風の音がうるさかった。
花落知多少  せっかく咲いていた花もかなり落ちてしまったようだ。

あれ?これって、まさしくこの家の、今朝のことじゃないか!
と、びっくりして、文字通り、目が覚めた。

築60年の古民家別荘は、棚田の中ほどにあって、
風や雨の音がうるさいくらいによく聞こえてくる。
昨夜は雨風が激しかった。
夜明けと共に、ホーホケキョ。ホーホケキョ。
という美しい声が続けざまに聴こえる。
石垣に自生している水仙の白い花が枯れてしまっていた。

マイボート・タイラバをするという目的の為だけに、
島に住み始めて、二度目の春を迎えた。
まるで山小屋のひとり暮らしのようで、
挨拶を交わすご近所さんもなく、
人との会話はほとんど無いような自然の只中に居て、
花鳥風月との対話を続けている。

おかげで、五感が研ぎ澄まされてきた。
もっとも発達するのが耳。
この頃では、家に当たる風の音の微妙な違いから、
その方向が判るようにもなったほどだ。
畳を這う虫の、僅かな足音さえも捉えてしまう。
ああ、人間は自然の中にひとりで居ると、
感覚が鋭くなるものだなあと、
我ながら感心している。

この鋭さが、実釣にも役立っており、
ん?そろそろヒットしそうだな。
と感じると、十中八九はその通りになる。
まるでマダイが捕食スイッチを入れた「カチッ!」
という音がこちらに聞こえてきたかのように。
興味スイッチでは、伝わってはこない。

実釣経験を積み重ねることによって、
「釣れる匂い」を感じ取れるようになったのだが、
釣りの経験のみならず、
陸での、自然とともにある生活も、
知らず知らず、「釣り勘」を磨くことに寄与しているのではないか。
と、そのように思っている。

ゲストのタイラバの仕掛けをながめる。
ああ、これは、釣れないな。
と直感すると、ほんとに釣れない。
そこで、私の仕掛けと換えてもらうと、ヒット!
というのは、これまでにもよくあったことだ。
ゲストの仕掛けをマダイが追うイメージが浮かばないのだ。
そのような第六感が備わりつつある。

タイラバ師は、陸に上がっても、
自然と共にあるのが、ふさわしい。

時化だと判っている日の朝は、「春眠」さながらに、
朝寝坊をたのしんでいる。
が、心は次の実釣に向かっているようだ。

マダイたちが、盛んに就餌活動を繰り広げていて、
その中の一匹が、タイラバを追っている。
のが見えた。



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