適齢期

これまでに、未成年は二度乗せた。
二回共に、父親との同行だ。
一度目は高校生の娘で、
かなりの悪条件であったにもかかわらず、
まったく船酔いすることもなく、
淡々とリーリングを続けていたのには感心した。

残念ながら、父親には良型が釣れたが、
彼女には他魚さえもヒットしてくれなかった。
それでも、船釣り初体験で、
とても楽しかったという感想を伝えてくれた。
高校生ともなると、経験の貴重さをある程度まで、
理解することができるのだろう。

二度目は、小学生の少年。
日ごろから釣り雑誌などをよく読み研究していたという。
そのせいか、ボウズだった父親をよそに、
大型、中型をそれぞれ一枚ずつ釣り上げた。

ところが、
港へ戻ると、彼はしきりと岸壁から海中を眺め、
まるで、大ダイを釣ったことなどどこ吹く風とばかりに、
アジゴの群れなどを見つけては、大いにはしゃいでいた。

それが、子どもなのである。
深い海に居て、タイラバを追って来る大ダイを、
イメージすることはまだできないのだ。
それより、実際に目の前で泳ぎ回っている小魚に、
より強い関心を持つのである。

釣りにも適齢期があると思っている。
私が少年の頃は、大きくても20cmほどの魚を釣って、
大喜びしていたし、潮溜まりに居るハゼなどを、
追いかけて楽しんでいたことが懐かしい。

天然マダイとの出会いは三十代でようやく実現した。
夜釣りの磯で、ケミホタルを付けた大きなウキが、
すぱっと消しこんで、思い切ってアワセを入れると、
50cmほどのマダイが掛かってくれた。
その一尾を釣るのにどんなに苦労したことか。

今では、50cmのマダイはほとんどすべてリリースしているが、
当時は、これがうれしくてうれしくて、
天にも昇る気持ちで、持ち帰ったものだった。
それほど、磯からのマダイは、私には難しかった。
ボウズはしょっちゅうで、冬の磯では雨に打たれ、
凍死するのではないかと思うくらい辛い思いもした。
若かったので、それでも磯へ通った。

その経験が、マダイへの憧れを生み、
タイラバに夢中になるという道筋をつけてくれた。
だから、今でもその頃の磯釣りを思い出し、
マダイを釣るという「重さ」を一枚毎に味わっている。

私の釣り人生において、
マイボート・タイラバという形態は、
憧れだった大ダイをいともたやすく手に入れるという、
まさに、究極の釣りなのである。

幼い子どもや青少年が、
早々と、「究極」を知ってしまっていいかどうか。

私には、やはり、
「ためらい」がある。



inserted by FC2 system