平等性

なんとなく哲学めいたタイトルになった。
タイラバにおける平等性についてである。

タイラバほど、経験や技が「問われない」釣り方はないだろう。
初心者でも初級者でも大ダイが釣れる。
したがって、タイラバには、
「初心」や「初級」という言葉は要らない。

先日の釣りではゲストが二名。
いずれも日ごろから親しくしている釣り仲間である。
内、一名はか弱い女性アングラーで、
未だに、自力でフックをセットできないくらいに、
釣りについては、わずかな技能しか持ち合わせていない。

もう一名は、某有名釣具店の支店長。
だから、当然、釣りには詳しい。
その店が「ブラック企業」かどうかは定かではないが、
休みが極端に少なくて、
店長になってからは、実釣経験が僅かという状況である。

約、5時間の実釣の末、
得られた釣果は、女性がキロオーバーを三枚にヤズを一本。
店長は、キロオーバーを二枚。
私はというと、キロオーバーはボウズだった。

こういうことは、しばしば経験している。
というより、ここ最近では、すべてだと言ってもよい。
つまり、この島で230回も出船を重ね、
経験豊富なはずの船長が、
ゲストが乗船すると、決まってジリ貧なのだ。

その理由は分かっている。
それについては、いずれ別のページで述べようと思うので、
ここでは語らないことにするが、
とにかく、タイラバには経験も技も関係ないということは、
分かっていただけると思う。

大上段に構え過ぎることを許してもらうと、
私は「自由と平等」という言葉が好きである。
凪の日にはいつでもタイラバができるという「自由」。
誰もが年齢や性別、経験や能力に関係なく、
大ダイを釣るという「平等」。

タイラバにおける「平等性」は、
特筆すべきものだということを実感するに至っている。
ゲストが大ダイをゲットした時の至福の表情に、
私自身も共感し、ああ、よかったな。と思う。
他人のよろこびを共にできることほど、幸せなことはない。
自分が大ダイを釣った時と、
同じくらいうれしいから不思議である。

ゲストの中には、船長より釣果があったからといって、
自分の方がタイラバが上手いと勘違いし、
優越感をいだいているなと感じる人もいるにはいるが、
それは、実につまらぬ思い込みに過ぎない。
そういうゲストとは次の釣行はないだろう。

タイラバはあくまでも、「平等」なのだ。
そのことを、数多くの実釣体験から導き出すことができた。
タイラバほど、経験や能力が問われない釣りはないだろう。
それを発見できたことが、これまでで最も大きな収穫である。

ただし、言うまでもなく、
「平等」の為にはひとつ大きな前提がある。
このサイトで詳しく説明している、
私が研究し続けている「釣り方」を、
素直に、忠実に模倣してもらうことが必要である。

「学ぶ」とは、「まねぶ」=「真似をする」こと。
それによって、経験の多い少ないという差を、
いっきに解消させ、ゲストに、
「平等」を提供しているつもりである。

私は、競争や他人と比べることが大の苦手で、
例えば、「上から目線」を感じる人とは、
付き合いをするつもりはないし、
自慢好きや、過去の栄光にこだわる人も、ノーグッド。
マナーや礼儀は必要だが、
「平等」な人々は、例外なくマナーも良い。

釣りで「平等性」を感じられるのが、
タイラバのもっとも優れた魅力の一つではないかと思っている。
だから、「タイラバ」なのだ。



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