鯛ラバにおける日常と非日常

仕掛けを作ることが、非日常だった。
色を変えてみようか。
鈎は何号がいいかな。
スカートの数はもっと少なくても大丈夫かな。
などなど。

どういう仕掛けが季節を問わず、
条件を問わず、魚種を問わずにコンスタントに釣れるか。
ずっと、悩まされてきた。

島に住む以前は、
月に一、二度の釣行だったから、
仕掛けの変化は、
むしろ、楽しみなことであったのだが。

ようやく、ここに来て、
仕掛け作りが日常になった。
部品も作り方も色や形、大きさなども、
全てが同じになったのである。

ゲストが来て、別の仕掛けで好釣果を上げても、
意に介すことなく、淡々と、
釣三丸スタンダードで釣りを続けている。

これで釣れなければ、しかたない。
と、潔く諦められるような到達度がある。

最も変化が大きいのは、
海という大自然で、これは標準などあろうはずがない。
まさに、変化の連続。
典型的な、非日常である。

その非日常に真剣に取り組む場合、
その他は、すべてを日常にする必要がある。
鯛ラバの仕掛けすらも日常にすることによって、
人が介する部分は、毎日無変化となった。

道具を準備し、船を出す。
ここまでは、日常だ。
そこからは、非日常となる。

今日はこういう条件だから、
まずは、ここから始めてみようと、
タイラバを落としてみる。
魚信が無いと、次はどこへ行こうかと考える。
別のポイントでも反応が無いと、
また、次へと向かう。
一日たりとも同じコースであることは、
一度も無かったし、これからも無いだろう。

どこで船のエンジンを停め、
どこへ流して行くか。
毎日が、変化の連続である。

この変化が、非日常を創り出し、
決して飽きることない面白みを釣り人に与えている。

昔流行った言葉があった。
「みんな違って、みんないい。」
毎日違っているから、
船を出す一日一日が、みんないいのである。

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