リアルとバーチャル
日頃から釣りをしている者にとって、
例えば、釣りのバーチャルゲームなどやる気にならないだろう。 大ダイが釣果音を響かせている時の、 スリリングなやり取りは、バーチャルでは難しい。
バーチャルリアリティーの開発が進み、 プロの棋士がコンピュータに勝てなくなったように、 バーチャルで大ダイを掛け、
緊張感を味わえる日が来るかも知れないが、
バーチャルレシピでは、腹がふくれることは無いだろうし、 天然マダイの旨さを味わうことは、 バーチャルではほとんど不可能に等しい。
島は自然が豊かなので、 厳寒期以外は、様々な生き物の声を聴く。 虫の音や小鳥の囀りなどを聴いていると、
わざわざデジタル音楽を聴こうという気にはならない。 以前はよく聴いていた、朝のクラシックも、 ほとんど聴かなくなった。
自然の音の方がずっと心が和むし、 音楽的であるということに気が付いた。
都市に住んでいる人に比べ、村に住んでいる人は、
ストレス度が三分の一程度になるという。 島となると、更にストレスは減る。
人が少ないこと。空間が広いこと。海が見えること。
景色が広がっていること。季節を肌で感じること。 そして、自然に五感を働かせられること。 人は、自然の中で暮らすものだと深く実感している。
近視、遠視、乱視の目がこの四年間全く悪化していないし、 鼻や耳、味覚は鋭くなるばかり。 「大ダイ流れ」が分かるようになったのは、
五感の先の第六感が磨かれたからだと思っている。
かつては、PCにとことんはまり、 バーチャルに浸り続けた日々が長く続いたこともある。
今でも、時化の日の大半は、 バーチャルで過ごすくらい、PCとは離れられないのだが、 それよりも、ずっと「釣り」というリアルは、
生活必需項目で、これ無しでは心身の健康は保てない。
港を出て、今日はどのポイントから始めようかと、
船を走らせているリアリティは、何ものにも代えがたい。 顔を撫でる海風の清々しさは、いつも新鮮である。
「ポケモンGO」ならぬ、
「オオダイGO」といきましょうか。
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